事業承継支援研究会

事業承継支援コンサルティング研究会(第38回)2020年12月7日(月) 事例問題

2020年11月24日  

事例問題(親族内承継と経営革新)

大塚家具(小売業、従業員数1,500人、売上高450億円、営業利益▲45億円)は、創業48年の家具販売会社であり、「会員制システムによる高級家具の対面販売」を行い、日本有数の家具販売会社に成長しました。

■ 2009年3月 勝久氏が社長を退任、久美子氏が初めて社長へ就任

2001年前をピークに、ニトリやイケアなど新興勢力の台頭や不祥事などで業績が下降を続けています。2009年3月に創業社長である大塚勝久氏が会長職に退き、後任社長に長女の大塚久美子氏が就任しました。久美子氏は、「気軽に入れるカジュアルな店づくり」を目指しました。これは、久美子氏が、消費者は安くても高品質でセンスある商品を選ぶ時代になったと判断したからです。

大塚家具の株式は、勝久氏が350万株(18.04%)を保有していました。妻の千代子氏と合わせて、19.95%の持株比率です。

一方、大塚一族の資産管理会社である「ききょう企画」は、2008年に勝久氏から、大塚家具の株式130万株の譲渡を受け、対価として社債15億円を発行、その結果として、千代子氏が10%、兄弟姉妹が各18%を所有することになりました。

そして、親子の対立の結果、「ききょう企画」の多数派は久美子氏が支配することとなり、「ききょう企画」を通じて大塚家具の株式189万株(9.75%)を所有することとなりました。

また、ききょう企画の株式は、勝久氏から子どもたち5人へ18%ずつ均等に贈与されましたが、贈与税は1人あたり約2,000万円を支払ったとのことです。

■ 2014年7月 久美子氏を社長から解任、勝久会長が社長へ復帰

しかし、勝久氏は、自身の過去のビジネスモデルを否定されたと感じたのか、久美子氏による方向転換を許すことができず、2014年7月に久美子氏を解任して、自ら社長に復帰しました。それでも会社の業績は更に悪化し、2014年12月期には▲5億円の営業赤字に転落することとなりました。

■ 2015年1月 勝久氏を社長から解任、半年で久美子氏が社長へ復帰

その後、勝久氏と久美子氏との対立は激化し、会社の方針について両者はことごとく対立していました。2015年に入り、業績の大幅な悪化に強い危機感を抱いた社外取締役の1人が親子喧嘩に耐えかねて辞任することとなりました。

このガバナンスを巡るトラブルを契機に、かねてより勝久氏側に付いていた取締役佐野氏が、妻である三女智子氏からの説得によって久美子氏側に寝返ったことから取締役会の支配関係が180度変わり、2015年1月の臨時取締役会は4対3の多数決で、久美子氏の社長復帰を決議しました。

■ 2015年3月 株主総会で勝久氏が取締役を退任、久美子氏の支配が確立

社長を解任された勝久氏は、その直後の株主総会に「株主提案(会社法303条)」を行い、勝久氏を中心とする取締役構成に入れ替えることを提案するとともに、一般株主から委任状集めに動き出しました。

これに対して、久美子氏は会社提案として、現状の久美子氏を中心とする取締役構成を維持し、勝久氏(及び勝之氏)を取締役に選任しない議案を上程しました。

しかし、久美子氏側の会社提案が、株主総会で61%の賛成を獲得しました。勝久氏側の株主提案は36%にとどまり、久美子氏の勝利となりました。

■ 2015年7月 勝久氏が新会社を設立

その後、勝久氏は所有する350万株(18.04%)のうち163万株式会社を売却し(残り10%)、20億円以上の現金を獲得、その資金を元手に新会社「匠大塚」を創設しました。ここでは、家業のビジネスモデル「会員制システムによる高級家具の対面販売」を実践しています。

【問1】久美子氏はなぜ大塚家具のビジネスモデルを変更したのでしょうか。

【問2】勝久氏の新事業「匠大塚」を設立して、従来のビジネスモデルを使った家具販売事業を再開しました。勝久氏はなぜ久美子氏を自分の後継者として、家具販売会社の経営を一本化しないのでしょうか?

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